2018.08.28
メンバー紹介☆ Masashi『出会いで広がった僕の世界』
CATEGORIES: 大学留学 留学生活の紹介 UCLA カリフォルニア
みなさんこんにちは!Masashiです! 僕はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で経済学を専攻し、2017年に卒業して日本へ帰国しました。
留学中の2015年に、たまたま「バイリンガール英会話」のちかさんと出会ったことをきっかけに、Shinoと一緒にちか友留学生活を立ち上げ、プロジェクトをリードさせてもらっています。
今日は、今まで動画では触れてこなかった、
僕が留学するまでの経緯や、僕のちか友留学生活への想いについて書きたいと思います。
野心のない、“普通”の高校生だった僕
僕は日本で生まれ、高校を卒業する18歳までずっと横浜で育ちました。海外に行ったのは、幼いときに両親に連れて行ってもらったハワイ旅行のみ。中学に入学すると部活で忙しくなり、国内旅行へ行く時間さえ取れなくなりました。
中学生の当時、流行していた漫画『アイシールド21』。憧れてラグビー部に入部し(意外!とよく言われます笑)、夜遅くまで練習の毎日。くたくたで帰宅し、そのまま眠りについてしまう、という日々が続きました。
中高一貫の私立に通っていた僕は、特に受験勉強をすることもなくラグビーに打ち込み、そのままエスカレーター式に高校へ進学しました。
進学した時は、全国大会を目指してラグビーを頑張ろう!と意気込んでいるだけで、大学受験のことはあまり意識していませんでした。「指定校推薦でそれなりに名前の知れている大学に行けたらいいかなぁ……」なんてことを考えながら、結局勉強するのは期末テスト直前だけで、ラグビーにほぼ全ての時間とエネルギーを捧げていました。
当時の様子
自分の可能性を信じてくれる人との出会い
そんな部活漬けだった僕が、海外の大学を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか。
それは、高校1年生時に英語の担当になったT先生との出会いでした。
T先生は海外経験が豊富で、授業中に体験談を話してくれることも多く、僕らのやる気を上げてくれる存在だったんです!
そんな優秀なT先生が、僕にとって最も特別に感じられたのは、僕の可能性を誰よりも信じてくれたからでした。
自分自身も、正直どこかで「部活も忙しいし、自分の英語が上達するわけがない」と諦めていたのですが、T先生は「Masashiはラグビーで忙しいのにこれだけできているんだから、絶対に伸びるよ」と、落ちこぼれかけていた僕に期待をしてくれました。
そんなT先生に紹介され、高校1年生の夏休みに海外研修でカナダへ2週間行くことになり、そのときの経験をきっかけに、“留学”という言葉がぼんやりと頭に浮かんでくるようになったのです。
高校1年生のカナダ研修の様子
名門校を目指すという選択肢
“留学”といっても、僕が聞いたことがあるのは「交換留学」のみ。日本の大学から交換で1年間どこかの国へ行けたらいいなと思っていました。
正直あのときは、アメリカの大学へストレートに進学するという発想すらありませんでした。
しかし高校3年生のある日、たまたま友達に誘われて行ったある塾の留学カウンセラーに相談したところ、
「コミュニティカレッジ(アメリカの2年制短期大学)だったら、今の英語力からスタートしても入学に間に合う」ということを教えてもらいました。
そして、最初の2年間で良い成績を保てば、アメリカの有名大学への編入も目指せるというのです。
UCLAのキャンパス
なにか特別なことをしたいと思っていた僕は、「4年間アメリカでチャレンジをする」ことになによりも胸踊りました。
そして、留学カウンセラーの方が「Masashiくんが本気を出せば、UCLAも入れるよ!」と言ってくれたことをきっかけに(社交辞令だったのかもしれませんが……)、
「挑戦してみたい!!」という気持ちが湧き上がり、単純で世間知らずだった僕は、留学がどれほどの費用がかかるかも調べないまま、両親にアメリカの大学へ行きたい気持ちを伝えました。
僕の家は特別裕福だったわけではありませんでしたし、母親は心配性で、僕がひとりで海外へ行くなんて想像もできなかったはずです。
しかし、夢を見つけて猛然と英語の勉強を始めている僕を見て、
両親は「そんなに本気なら挑戦してきなさい!」と留学の支援を決意してくれました(本当にありがとう泣)。
そして無事、高校3年生の11月にラグビー部を引退したのち、約2ヶ月間でTOEICの点数を470点→930点、TOEFLの点数も36点→84点に伸ばすことができ、
コミュニティカレッジ入学の基準点(TOEFL45点~61点を基準とする大学が多い)を越すことができました。
(ちなみに、その急激な点数の伸び方を見て、留学カウンセラーの方も「過去にこんな事例はなかった」と驚いてらっしゃいました笑)。
そんな経緯で、一気にエンジンをかけたラストスパートでコミュニティカレッジ(コミカレ)に入学する準備が整い、いざ渡米を待つのみとなりました。
留学先での生活
2013年に高校を卒業後、すぐにアメリカに渡った僕は、「UCLAかUCバークレーに入学できなかったら人生おしまいだ」と本気で思っていたほど、一流大学への編入に向けて毎日必死に過ごしていました。
最初の2年間は、編入に向けて受験生のような日々を過ごすことを覚悟し、毎日10時間以上勉強することを決めていました。
当時のイメージ
当然それだけ継続して勉強していれば結果にも現れ、2年間を通してすべての科目で最高評価のAをもらうことができ、コミカレ卒業まで*GPAは常に4.0/4.0でした。
(*Grade Point Averageの略で、成績の評価指標のこと。)
そして、渡米から2年後の2015年に、目標とするUCLAの経済学部に編入し、2017年に卒業することができました。
留学中の生活については動画でたくさん発信しているので、今回は短めに書かせていただきます。
僕のUCLAでの生活の様子は、バイリンガールちかさんのチャンネルでアップしていただいた、こちらのビデオを見てみてくれたら嬉しいです!
留学で変わったこと
僕は留学を通して、世界中の人との繋がり、コミュニケーション能力、多様性への理解、専門知識など、たくさんのことを得られたと思います。
しかし、その中でもいちばん大きな財産は、「自分を信じられるようになったこと」です。
自分には夢のまた夢のように遠かった海外の大学に向かって、がむしゃらに努力して目標を達成した経験は、
「あの時できたからきっとまたできる」という自分への信頼に繋がっています。
卒業式で両親と喜びを分かち合う様子
恥ずかしがり屋で、自分に諦めていた高校生の自分とは別人なほど、今では積極的になり、自分のことを信じられるようになったと思います。
ちか友留学生活への想い
最後になりますが、このちか友留学生活プロジェクトにかける想いを書いて締めさせてもらいます。
僕は、留学中の2015年に、たまたまあるイベントで、ちかさんとおさるさん(ちかさんの旦那さん)に出会いました。
イベント会場ですれ違い、勇気を振り絞り声をかけました…!!
当時から僕は、留学情報の発信に情熱をかけていて、その想いを伝えたら、お二人は一緒に留学のプロジェクトを始めよう!と提案してくれて……、ちか友留学生活がスタートすることになりました!
僕はこれまで、Shinoをはじめとしたたくさんの仲間に支えられながら、YouTubeでたくさんのビデオをつくって発信してきましたが、
その原動力には、誰かが人生を変えるような機会に出会うお手伝いをしたいという想いがあります。
僕は正直、みんなが留学する必要はないと思っています。ただ、きっかけや選択肢との出会いは誰でも持つ権利があると信じているんです。
高校生の僕が自分の可能性を信じてくれる人との出会いやコミカレからの大学編入というひとつの選択肢によって、自分の夢を見つけることができたように 、
ほんの小さなきっかけや選択肢との出会いで、人生を変えていける人はたくさんいると思います。
ちか友Rのイベントの様子
そして、幸いなことに僕らには、ちかさんの動画を見ている全世界の(ちか友の)留学生のネットワークがあるので、みんなで力を合わせて、たくさんの方に情報を届けていくことができます。
僕の人生を変えてくれたような素敵な出会いがたくさん生まれるように、僕はこれからも発信し続けたいです。